03 August 2008

急性虫垂炎

 突発性難聴が2週間薬を飲み続けることで治って油断していたら、今度は急性虫垂炎になって10日間ほど入院していた(備忘録として記しておこう。7/22〜8/1)。
 初めての手術は、手術前も術後も「怖い」ものだったけど、まあ、何とか一応は乗り越えた。

 腹筋が使えなくなり、身体の自由が制限されることで、年寄りや身体障害者などの立場を疑似体験できたような気になれたのは小さくない収穫だった。
 結局のところ自分で体験しないと分からないものだと痛感したのは、反省・後悔・自分に対する失望に繋り、それも全て含めて収穫だ。
 そんな中でも家族をはじめ、兄の彼女や会社の人たち・中高の友人・家の建設を頼んでいる建設会社の人まで、心配して来てくれた人、来ることはできなくても心配してくれた人たちには、感謝の気持ちはもちろん、尊敬の念さえも(大袈裟じゃなく)感じる。

 この中に挙げた高校時代からの友人は、10年前、俺が髄膜炎で二週間入院していたときも、ほぼ毎日来てくれた。一日、彼がglobeのコンサートに行った日は来ることができず、その日は退屈で退屈でしょうがなかったのを覚えている。
 2002年、その彼が肝炎で入院したとき、俺は一度も行かなかった。特別忙しかったわけではないと思う。でも行かなった。「行けなかった」のではなく、「行かなかった」。メールも送っていないし、退院後に何か声を掛けた覚えもない。
 これが後悔。取り戻すことはできない。

 この話は過去形ではない。現在進行形だ。
 人は、というとズルいので、俺は、忙しさや楽しいこと・自分のことにかまけて(もしくは何にもかまけていなくても)、人のことを顧みなくなる。心の奥には後ろめたさはある。でもそれを見ないようにする。気付かない振りを続ける。大事にできていないな、と思いながらも、重い腰が上がらない。その人への想像力をシャットアウトする。そういう傾向がある。
 これが自分に対する失望。絶望の一歩手前。

 失望が絶望の一歩手前で留まっている原因となっている一筋の希望に名前を付けるとするならば、それは「自覚」だろう。
 これが無自覚のまま、集団となって暴走したら人は残虐にもなり得る、と考えるのは短絡だろうか。
 現に、2002年の自分は十分に残酷だったと自分では思う。短絡じゃないような気がする。

 っていうか、こんなに人に対する想像力がストップするこの世の中の忙しさは何なんだろう、というのはさすがに短絡かな。
 いっそ、俺がこんなにつまらない文章しか書けないのもこの世の中のせいにしてしまいたい。

 まぁそれは置いといて、皆さん、本当にありがとうございます。


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